2023年8月8日火曜日

月刊誌『WiLL』の自己剽窃

 「LGBT理解増進法」が可決されたのをうけて、このところ右派論壇誌は「LGBT特需」に湧いている。セクシュアリティやジェンダーといった話題についてかねてから積極的に発言していた論者は右派論壇では限られているので、同じような名前を何度も目にする羽目になる。だから月刊誌『WiLL』(ワック)の2023年1号に小林ゆみ、saya、竹内久美子、橋本琴絵による座談会「LGBT狂想曲 常識を取り戻せ」が掲載された3か月後の4月号で小林ゆみと竹内久美子による対談「活動家の目的は家族破壊と国家分断」が掲載されていることに気づいたときにも、特になにも思わなかった。その内容をチェックするまでは……。

4月号の対談は1月号の座談の使い回しである。それも単に「同じ話題を繰り返した」という程度のものではなく、1月号の座談のうち saya と橋本琴絵の発言を竹内久美子による発言として編集し直したうえで、小林と竹内による対談に仕立て直したに過ぎない(些細な文言の変更を別として)。1月号座談は10ページ、4月号対談は8ページであるが、1月号座談にある「ポリコレ」批判と「フランクフルト学派」陰謀論を削るとほぼ4月号対談と重なる。4月号にしかない記述はあわせて約1ページほどだ。

私はかねてから右派論壇の特徴として「新奇性という価値に拘束されない」ことを指摘してきた(『海を渡る「慰安婦」問題』所収の拙稿など)。同じ論者が同じ話題について同じような議論を繰り返すことは忌避されないのである。ジャーナリズムやアカデミズムの倫理には抵触しかねないこうした慣行も、政治的なキャンペーンとしては有効なものたりうる。しかしここまであからさまな自己剽窃を行うとは驚いた。寄稿者全員に了解をとったうえでのことであれば法的な権利の面では問題化することはないのかもしれないが、4月号の対談に読者に対する断り書きは付されていない(なお4月号から現在発売中の9月号までの編集後記を確認したが、この点についてはまったく言及されていない)。ビジネス倫理の観点からみてもさすがに看過できない自己剽窃ではないだろうか。

以下、画像ファイルで両記事の類似性を証明する。もちろん著作権に配慮するためページの大半はマスクしてある。グレーでマスクしてあるのが両号で(細かな文言の違いを除けば)同一内容の箇所。黒でマスクしてあるのが使いまわしされていない箇所。いずれも発言者を特定しまた異同の見当がつくよう、一部だけマスクを外してある。その他、異同の検証に関係のない写真には白のマスクを施した。

『WiLL』2023年1月号より


『WiLL』2023年4月号より














2023年7月30日日曜日

中尾知代『戦争トラウマ記憶のオーラルヒストリー』

 -中尾知代『戦争トラウマ記憶のオーラルヒストリー 第二次大戦連合軍元捕虜とその家族』、日本評論社、2022年

第二次大戦に関するトラウマ的な体験の聞き取りを長年にわたって続けてきた著者による(ひとまずの)集大成的著作。聞き取り対象者の中心は日本軍の捕虜となった元イギリス軍将兵だが、国籍はその他オランダ、アメリカ、オーストラリアなどに、また日本軍との関わりでは民間抑留者や元捕虜の家族にも及んでいる。

アジア・太平洋戦争を批判的にとらえ直す市民運動が盛んだった時期には日本軍の捕虜となった連合国将兵の回想を翻訳・出版したり日本で証言集会を開くといったことも行われていたが、やはり戦後の日本においてアジア・太平洋戦争について語られてきたことのうち、連合国将兵の捕虜体験についての語りが占める割合非常に僅かだったと言えるだろう。その理由としてはまず第一に、日本語の言論空間が海外から孤立していた時期にBC級戦犯裁判に関する日本側関係者の言い分が一方的に流布してしまったことがあるだろう。また侵略戦争や植民地支配に対して自覚的な市民運動にとっては、アジアの戦争被害の声を聞くことがまず優先されるべき課題であった、ということもあると思われる。戦後補償問題がある程度の認知を得るようになると今度は「和解の成功」を喧伝する言説が元捕虜たちの苦しみを覆い隠すようになってしまう(この点については本書の第7章でも触れられているが、著者の前著『日本人はなぜ謝りつづけるのか』にも詳しい)。

本書の全体としての構成は版元サイトで閲覧できる目次で確認できるのでそちらを参照されたい。著者が聞き取ってきた元捕虜・抑留者たちの経験をその家族との関係において(第3章、4章)、トラウマ記憶に関する学術的な知見との関係において(第5章)、またオーラルヒストリーという営みとの関係において(第6章、7章)分析しようとする試みのうち、私がまず関心を引かれたのは元捕虜たちの体験がその妻や子どもたちに及ぼした関係、という視点だ。近年、復員後に“ひとが変わった”ようになった父との関係に苦しんだ体験をNHKが番組化し、取材対象者の活動も書籍化されるなど、戦争体験が次世代に及ぼす影響についての関心も少しずつ高まってきたようであるが、著者はそうした視点の重要性に早くから気づいていた研究者の一人ではないかと思う。元捕虜たちの過酷な体験が戦後の夫婦関係や父子関係に深刻な影響を及ぼしていることを私が知ったのは、本書がまだ構想段階だったころの著者との私的な会話においてだった。戦争の影響は多くのひとが(というよりも私自身が)考える以上に時間的に長く続くものだということを思い知らされたのだ。

また90年代後半以降のこの社会で顕著になってきたこととして、侵略戦争や植民地支配の責任を追及することに対するバックラッシュをあげることができるが、その際に矢面に立たされたのが旧日本軍から被害をうけた人々の証言であった。本書の第6章は証言の否認や矮小化という“挑戦”に立ち向かっている。トラウマ記憶についての証言についてありがちな誤解を解いていくことはオーラル・ヒストリーについての正しい理解を促進するうえでも欠かせないが、証言者への二次加害を予防するためにも重要なことだ。

他にも印象的な箇所は多いが、著者による聞き取りを通じて元捕虜たちに生じる変化(各所で言及され第7章で主題的に扱われている)にはぜひ注目してもらいたいと思う。特に戦後補償問題が浮上して以降、この社会には戦争被害を訴える声を一定の枠(「金目当て」『いつまでも過去に拘る頑なさ」などなど)にはめて理解しようとする傾向が存在するが、本書を通じて私達は声をあげ続ける証言者たちの実存的な切実さを理解できるはずであるから。

2023年7月22日土曜日

森万佑子『韓国併合』

 -森万佑子『韓国併合―大韓帝国の成立から崩壊まで』、中公新書、2023年

著者の専門は朝鮮半島の地域研究。従来日本では歴史学や政治学の文脈でとりあげられることが多かった「日韓併合」を、特に高宗の視点を重視しながら「大韓帝国が成立して崩壊していく過程」として描く試み。近代の日朝関係を朝鮮・大韓帝国の視点を中心にして描いた一般向けの書籍がなかったわけではなく、例えば岩波新書ならば超景達『近代朝鮮と日本』などがあるが、「日韓併合」というテーマに特化したものではない。このテーマに関する文献を幅広く読んできたわけでもないので「管見の限り」にもほどがあるけれども、新鮮な読書体験であった。特に朝鮮・大韓帝国側の史料がもつ特徴についての指摘は勉強になった。

「日韓併合」について語る際に避けることができないのはその法的な評価である。「徴用工」問題ひとつをとってもその根っこはそこにあると言ってよい。本書では(併合を「正当」とする立場は論外として)併合の合法性をめぐる代表的な見解を紹介したうえで、著者自身の結論は「主な対立の焦点が国際法であるため国際法が専門ではない筆者が、法学的な観点から結論を述べることは避けたい」(「終章」)としている。ただし否定し難い「史実」として一に「多くの朝鮮人が日本の支配に合意せず、歓迎しなかった」ことを、二に「日本人が朝鮮人から統治に対する「合意」や「正当性」を無理やりにでも得ようとしたこと」の二つを「終章」の結びで述べている。「併合」が当時の朝鮮人の臨んだことであるという歴史修正主義者の主張は否定されていると言えよう。

ただそれだけに驚いた記述が2つほどある(いずれも「終章」の「植民地の請求権問題」という見出しが付された節)。一つは河野談話やアジア女性基金を評して日本政府が「真摯に対応」(ルビを省略)したという記述。まず河野談話について言えば、その中に含まれる「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ」るという「決意」がなし崩し的に反古にされ、第二次安倍政権下ではむしろ攻撃の対象となってきたという明らかな事実を無視している。アジア女性基金についても、私はこの基金の設立や運営にあたった人々の主観的な誠意を疑うものではないけれども(ただし大沼保昭氏の事後的な正当化は極めて欺瞞的であると評価せざるを得ない)、当時を知る者にとってこの基金が右派との政治的妥協の産物であることは自明だった。著者も「韓国国民からの支持が得られなかった」と認めている2015年の「慰安婦合意」(著者の表現)の失敗も、アジア女性基金の問題点を否認し続けた結果ではなかっただろうか?

そしてもう一つが次の一節だ。

 民主化以後の韓国では、国民の合意が得られない国家間の取り決めは意味を持たない。そして、韓国の国民が持つ歴史認識は道徳に価値が置かれている。韓国の場合は「歴史(認識)とはこうあるべき」という道徳的価値観から史実を見ていると言える。韓国史は「우리역사(ウリヨクサ)」(われわれの歴史)と呼ばれる韓国人の歴史なのである。

 一方、日本は歴史には複数の見方があるとの前提で、自国史も客観的に、淡々と史実を教えようとする。両国の歴史教育には明らかに距離がある。   

(原文のルビを( )書きに改めた)

 ここには複数の問題点がある。といっても、実はこのような言説は2015年の日韓「合意」や「徴用工」問題の外交問題化以降、日本のメディアで「韓国専門家」によってひろく流布されてきたものである(「あとがき」でそうした韓国専門家の一人に謝辞が送られている)。したがって以下はひとり本書の著者についてのみあてはまることではない。

まず第一に、このような認識は日本政府が国際条約に基づく国際人権機関等からの要求のいくつかを無視し続けているという厳然たる事実を無視している。例えば高校無償化から朝鮮学校を排除するのは人種差別撤廃条約に反しているのだが、「国民の理解が得られない」という理由で排除は続けられたままである。なぜこうした事態を「国民の合意が得られない国家間の取り決めは意味を持たない」と評価しないのだろうか? ちなみに、SNSで朝鮮学校への無償化適用に反対する投稿を見かけると私は時折「国民情緒法!」というコメントをつけることがあるが、これはもちろん2015年の日韓「合意」以降朝鮮半島地域研究者などが韓国政府の行動を「分析」する際に用いてきたフレーズである。

第二が「歴史教育」についての認識である。公教育で行われる歴史教育が圧倒的に「われわれの歴史=日本人の歴史」であるのは日本だって同様である。第二次安倍政権以降とりわけ、歴史教育に「道徳的価値観」を反映させようとする志向が露骨になったことも私たちは見てきたはずである。

たしかに「歴史には複数の見方がある」という口上はこの社会で広く用いられている。しかしそれはもっぱら他者の歴史認識に由来する要求を拒絶する口実に用いられているのではないか? 「歴史には複数の見方がある。つまり日本には日本の歴史観があって当然だ」というわけだ。歴史認識の普遍性を否定し複数性を引き受けるとはどういうことなのかを突き詰めて考えることなしに、安易な相対主義に流れている(しかもその結果として自国中心主義的歴史認識が温存される)のが日本の現状なのではないだろうか。




2019年8月9日金曜日

『産経新聞』の「歴史戦」連載――その概略

〈おことわり:本稿は2017年に金曜日より刊行された『検証 産経新聞報道』(『週刊金曜日』編)所収の拙稿「『産経新聞』の“戦歴” 「歴史戦」の過去・現在・未来」の元原稿の一部を加筆・修正したものです。〉 1. 「歴史戦」とはなにか?  2014年4月1日、新年度の始まりを期したかのように『産経新聞』は「歴史戦」と題するシリーズをスタートさせた。産経新聞社が刊行する月刊誌『正論』ではひと足早く2013年に、「歴史戦争」というキーワードを前面に出したキャンペーンが始まっていたが*、あきらかに第二次安倍政権の発足をうけて始まったこのキャンペーンに『産経』も一年遅れで加わったわけである。
* 月刊論壇誌における「歴史戦」キャンペーンについてはすでに別の著作で分析を試みたので、参照していただきたい。 
 
能川元一+早川タダノリ『憎悪の広告—右派系オピニオン誌「愛国」『嫌中・嫌韓』の系譜』合同出版、2015年、特に第9章と第12章。
山口智美、能川元一、テッサ・モーリス−スズキ、小山エミ『海を渡る「慰安婦」問題――右派の「歴史戦」を問う』、岩波書店、2016年、第1章と「おわりに」。なお「歴史戦」に関わる右派グループの運動や、日本政府の関与については同書の他の章をご参照いただきたい。
 では「歴史戦(争)」とはなにか? 「歴史戦」シリーズの口火を切った4月1日の「「歴史戦」第1部 河野談話の罪(1)外交 事なかれ主義の象徴」(東京本社版朝刊、以下特に断りのない限り同様)は、次のように結ばれている。
 偽りの友好にまどろんできた日本が腕をこまぬいている間に、中国や韓国は着実に歴史問題で地歩を固めていった。今後、日本は事なかれ主義と決別し、砲弾ではなく情報と言葉を駆使して戦う「歴史戦」に立ち向かわなければならない。
この時点で『産経』がもっとも重視していた「歴史問題」とは、日本軍「慰安婦」問題を指す。第一次安倍政権時代の2007年、アメリカ下院など各国の議会で日本政府に「慰安婦」問題の解決を促す決議が可決された。また2013年にニュージャージー州パリセイズ・パーク市で「慰安婦」被害者追悼碑が設置され、2013年にカリフォルニア州グレンデール市で韓国ソウル市の日本大使館(現在は大使館の建て替え工事のため、隣接するビルに移転中)前の「平和の少女像」を模した少女像が設置されたのを先駆けとして、欧米諸国にも「慰安婦」メモリアルを建立する動きが始まった。このように、日本軍「慰安婦」問題に象徴されるアジア・太平洋戦争で旧日本軍が行った加害行為を記憶しようとする運動が欧米の政府や市民にも波及したこと、こうした事態が「中国や韓国は着実に歴史問題で地歩を固めていった」とされているのである。後述する単行本『歴史戦—朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を討つ』では、「歴史戦」の取材班キャップ有元隆志政治部長が「ここまで日本が貶められる事態になったのはなぜか」「慰安婦問題はそもそもなぜ起きたのか」が「歴史戦」シリーズ開始当時のテーマだったとしている。  2007年当時、安倍内閣と日本の右派はアメリカ下院での「慰安婦」決議阻止を目論んだが失敗に終わった。「強制連行」を否定する安倍首相の国会答弁や、右派の言論人や政治家が『ワシントン・ポスト』紙に出した意見広告はむしろ可決を後押しする結果になったのだが、右派はまったく逆の総括をした。日本政府が中国や韓国が〝日本を貶める〟ために展開しているプロパガンダに対抗した情報発信を怠っているから、国際社会が〝捏造された「慰安婦」問題〟を信じ込むのだ、と。  第一次安倍政権を継いだ福田康夫内閣、麻生太郎内閣はいずれも約1年の短命政権に終わり、2009年には民主党(当時)政権が成立する。このとき、『産経』社会部のツイッターアカウント(@SankeiShakaibu)が「産経新聞が初めての下野なう」とツイートしたことは、同紙の自民党への肩入れぶりを証しするものとしてインターネット上で話題となった(「なう」は英語の "now" をひらがな書きしたもので、たったいま起こったこと、たったいま行ったことを投稿する時に使われていたネット用語)。『産経』にとっては不本意な〝野党暮らし〟を経て再び安倍晋三氏が首相に返り咲いたことで、再び積極的な情報発信のチャンスが訪れた……これが「歴史戦」シリーズを生んだ情勢認識だったのだ。  問題はこの「歴史戦」が一メディアのキャンペーンにとどまらない、ということだ。アメリカその他での「慰安婦」モニュメント設置運動に対しては、日本政府が執拗に妨害工作を行ってきた。その背後には菅義偉官房長官の「慰安婦像設置の動きは、わが国政府の立場と相いれない。極めて残念なことだ」(『産経新聞』2017年3月29日朝刊)といった発言に現れている安倍政権の認識がある。だが、いったいなぜ「慰安婦」像の設置が日本政府の立場と相いれないのか、筋の通った説明はできるのだろうか? 歴代内閣が踏襲してきた河野談話には、次のような「わが国政府の立場」が記されている。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
だとすれば、欧米諸国にも「慰安婦」モニュメントを建てる動きが広がっていることについては、日本政府が歓迎の声明を出し除幕式には大使や領事が出席してもおかしくないはずだ。  菅官房長官の発言を理解するためには、次の2つの前提を導入するしかない。欧米での「慰安婦」モニュメント建立は韓国(や中国)の差し金であり、そのモニュメントの目的は日本を非難することである、という2つだ。これが『産経』の「歴史戦」キャンペーンが立脚する認識と完全に一致していることは明らかであろう。 2. 「歴史戦」シリーズ掲載状況  産経新聞社のニュース検索サービスによれば、2014年4月1日のシリーズ開始以来、2019年7月31日までに計401件の「歴史戦」シリーズ記事が掲載されている(東京本社版、特に断りがない限り以下同様。なお大阪本社版では同じ期間に352件とやや少なくなっている)。「歴史戦」シリーズには第1部〜第20部までの連載記事と単発の記事とがある。連載の掲載期間(途中、休載日を挟んでいることもある)とタイトルは次のとおりだ。タイトルだけでは内容が分かりづらいものについては、主な題材を( )内に付記した。
第1部 2014年4月1日〜4月5日 「河野談話の罪」 第2部 2014年5月20日〜5月25日 「慰安婦問題の原点」 第3部 2014年6月22日〜6月26日 「慰安婦・韓国との対話」 第4部 2014年7月26日〜7月28日 「利用される国連」 第5部 2014年8月23日〜8月25日 「「朝日検証」の波紋」 第6部 2014年8月30日〜9月3日 「「主戦場」米国」 第7部 2014年10月26日〜10月30日 「崩れ始めた壁」(日本軍「慰安婦」問題) 第8部 2014年12月24日〜12月28日 「南京「30万人」の虚妄」 第9部 2015年2月15日〜2月18日 「南京攻略戦 兵士たちの証言」 第10部 2015年4月11日〜4月16日 「終わらぬプロパガンダ」(南京大虐殺) 第11部 2015年7月2日〜7月7日 「もう一つの慰安婦問題」 第12部 2015年8月15日〜16日 「戦後70年談話」 第13部 2015年9月3日〜9月5日 「戦後70年抗日行事」 第14部 2015年12月15日〜17日 「ユネスコ記憶遺産」(南京大虐殺) 第15部 2016年2月20日〜2月22日 「日韓合意の波紋」 第16部 2016年5月1日〜5月4日 「南京が顕彰した男」 第17部 2017年4月11日〜4月13日 「新たな嘘」(強制労務動員、軍艦島) 第18部 2017年6月5日〜6月7日 「反日ネットワーク」(「慰安婦」問題、沖縄基地問題、軍艦島) 第19部 2017年12月12日〜12月14日 「結託する反日」(「対日包囲網」、科研費) 第20部 2018年4月11日〜4月14日 「孔子学院」

2016年以降はかなり連載のペースが落ちているとはいえ、5年を超える長期シリーズとなっている。
 これら「歴史戦」連載の掲載記事とテーマを眺めるだけでも、過去6年間のキャンペーンの大まかな流れをつかむことができる。大きな節目は、『朝日』が2014年の8月5日、6日に過去の「慰安婦」報道を検証する特集を掲載し、一部記事を撤回したことだ。第5部がこの「朝日検証」を扱い、第6部が「「主戦場」米国」となっている。これは『産経』の「慰安婦」問題認識を端的に現している。『産経』にとって「慰安婦」問題の最大の焦点は〝慰安婦狩り〟を行ったとしていた吉田清治証言であり、『朝日』が吉田証言に依拠した記事を撤回した以上、国内的には「慰安婦」問題は解消した――あるいは『産経』を始めとする右派の勝利に終わった、ということなのだ。とすれば、残る問題は同盟国であるアメリカに中韓の反日キャンペーンが浸透していることであり、今後の「歴史戦」の「主戦場」はアメリカだ、ということになる。これ以降、「歴史戦」連載はアメリカを中心とする海外での動向により大きな関心を向けるようになる。  また、朝日バッシングが一段落ついた頃から、南京事件否定論が連載に登場している点にも注目されたい。「慰安婦」問題での主観的勝利の余勢を駆って、南京事件についても改めて攻勢に出ようとしているわけだ。第14部でとりあげられているユネスコ記憶遺産(「世界の記憶」)でも、南京事件が「慰安婦」問題とともに〝戦線〟とされている。  「慰安婦」モニュメントへの攻撃と並んで政府与党と『産経』の連携を伺わせたのが第19部での科研費(科学研究費助成事業)攻撃だ。「反日」的な研究に科研費が支出されているとして具体的な研究者名を挙げた記事を執筆したのは「歴史戦」シリーズの執筆メンバーで当時官邸キャップだった田北真樹子記者(現在は『正論』編集長)。年が明けた2019年2月には自民党の杉田水脈衆議院議員―落選中の「歴史戦」活動が安倍総裁の目にとまり2017年の衆院選で自民党から立候補・当選した―が国会質疑においてやはり具体的な研究者名を挙げて科研費の助成を受けた研究を「捏造」と非難。その後名指しされた研究者のうち4人から民事訴訟を起こされている。
 なお、連載第6部までの内容は再構成されたうえで、2014年の10月に産経新聞社名義で単行本『歴史戦—朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を討つ』(産経セレクト)としてまとめられている(以下「単行本」と呼ぶ)。おおむね第3章が連載第1部に、第4章が第2部、第5章が第3部、第6章が第4部、第2章が第5部、第7章が第6部にそれぞれ対応している。第1章は「歴史戦」シリーズとは別に14年9月8日に掲載された「慰安問題偽証「吉田証言」」と題する計5本の記事をまとめたもので、まえがきと序章は書き下ろしだ。 3. 「河野談話」攻撃  『産経』の歴史修正主義的な主張、とりわけ南京大虐殺と日本軍「慰安婦」問題に関する主張の誤りについてはすでに多くの指摘がなされてきているので、ここで一つ一つとりあげて批判することはしない。歴史修正主義的な言説の特徴をよく表しているいくつかの点に絞って紹介することにしたい。  第1部が「河野談話の罪」と題されているのは、この当時右派が河野談話への攻撃を盛んに行っていたことと関連している。『産経新聞』は14年1月9日の社説「「河野談話」合作 見直しはいよいよ急務だ」で談話の見直しを主張した。その理由は第一に、談話の作成過程で韓国の意向をうけた修正があったこと(「合作」)、第二に16人の元「慰安婦」に対する聞き取り調査が「極めてずさん」だったことだとされている。  その後、談話発表当時の官房副長官だった石原信雄氏を参考人招致するなど右派の攻勢は続くが、菅義偉官房長官が3月10日の記者会見で「河野談話を見直すことは考えていない」と発言、安倍晋三首相も14日の参院予算委で「安倍内閣で見直すことは考えていない」と答弁。このような事態の推移に対して『産経』は3月12日の社説「「河野談話」検証 結論ありきは納得できぬ」で「根拠ない談話で日本の名誉は著しく傷つけられている。結論ありきの検証では、国民も納得できまい。談話の見直しは急務である」と異議を唱えるが、結局は河野談話の作成経緯を検証するチームを政府が組織することで決着する。  安倍政権のもとでの「河野談話」撤回に期待をかけていた『産経』としては不本意な決着だったであろう。「歴史戦」シリーズの重要な目標に河野談話への攻撃が含まれていたのは当然と言える。  第1部の第1回「外交 事なかれ主義の象徴」(14年4月1日)は次のように始まっている。
 まともな裏付けもないまま一方的に日本を糾弾したクマラスワミ報告書と、それに対する日本政府の事なかれ主義的な対応は、歴史問題に関する戦後日本外交のあり方を象徴している。
つまり日本はまったく故のない糾弾を国際社会で受けているのに、日本政府は反論しようとしないので、「過去を誇張して世界に広め」ようとする中国や韓国の思い通りになっている、というのだ。そしてその事なかれ主義の象徴が「強制連行を示す文書・資料も日本側証言もないまま「強制性」を認定した河野談話」(下線は引用者)であり、「世界に日本政府が公式に強制連行を認めたと誤解され、既成事実化してしまった」というのである。したがって「相手の宣伝工作」に反撃する「歴史戦」を戦わねばならないのであり、そのためには〝不戦敗〟の象徴である河野談話を見直さねばならない、ということになる。  たったこれだけの部分に、『産経』の「慰安婦」問題報道の特徴がいくつも現れている。一つは「用語のすり替え」だ。先の引用で下線を引いた部分に注目していただきたい。「強制連行」というのは「強制性」の一つの形態に過ぎないのだから、仮に「強制連行」を示す証拠がなくても「強制性」を認定することはできる。そして河野談話には「強制的」という単語こそ用いられているものの、「強制連行」という単語は用いられていない。  これについては興味深い事実がある。1993年8月5日、日刊全国紙五紙はそろって河野談話を一面で報じたが、『朝日新聞』が「慰安婦「強制」認め謝罪」という見出しをうったのに対し、『読売新聞』は「政府、強制連行を謝罪」、『産経新聞』は「強制連行認める」という見出しを付けているのだ。同日の『朝日』は元「慰安婦」たちが「連行の「強制性」をぼかした表現でしか認めようとしない、日本政府への不満を口々に語った」と報じている。河野談話と「強制連行」を強く結びつける報道をしたのは『朝日』よりも、「慰安婦」問題に関連して『朝日』バッシングを繰り広げた『読売』『産経』の方だと言わざるを得ない。  もう一つの特徴は、過去の特定の時点に執着してそれ以降の研究の進展を無視するというものだ。金学順(キム・ハクスン)さんの名乗り出と吉見義明・中央大学教授(当時)による資料発掘によって日本軍「慰安婦」問題が戦後補償問題における課題として浮上したのは1991年8月から1992年1月のことだ。河野談話やクマラスワミ報告はそれからほんの数年間の間に出された、暫定的な報告でしかない。日本軍「慰安婦」制度はアジア・太平洋戦争の全期間、広大な戦線に広がった問題であり、ただでさえ全容の解明が容易ではないものだ。また、被害者にしても加害者にしても正直に証言することが困難な性暴力にかかわる問題でもある。敗戦直後に日本政府・日本軍は大量の公文書を隠滅したことも全容解明を困難にした。さらに当時の日本政府の対応も、事実の徹底的な解明ではなく問題の封じ込めをねらったものであることが今日では明らかになっている。2013年10月13日朝刊で、『朝日』は外務省が1993年7月にフィリピン、インドネシア、マレーシアの各大使館に対して、元「慰安婦」被害者に対する調査を避けるよう指示する外交公文を送っていたことを報じた。
旧日本軍の慰安婦問題 が日韓間で政治問題になり始めた1992~93年、日本政府が他国への拡大を防ぐため、韓国で実施した聞き取り調査を東南アジアでは回避していたことが、朝日新聞が情報公開で入手した外交文書や政府関係者への取材で分かった。韓国以外でも調査を進めるという当時の公式見解と矛盾するものだ。 「河野談話」が出る直前の93年7月30日付の極秘公電によると、武藤嘉文外相(当時)は日本政府が韓国で実施した被害者からの聞き取り調査に関連し、フィリピン、インドネシア、マレーシアにある 日本大使館に「関心を徒(いたずら)に煽(あお)る結果となることを回避するとの観点からもできるだけ避けたい」として、3カ国では実施しない方針を伝えていた。(後略)
研究者や支援団体による調査では、これら東南アジア地域では『産経』などが考える意味での「強制連行」が度々起こっていたことが明らかになっている。「強制連行」が起こっていた地域での調査を意図的に回避していたのだから、「強制連行」の証拠が乏しかったのは当たり前だろう。  このような事情を考えれば、問題が浮上してから間もなく出された河野談話やクマラスワミ報告の内容に不十分な点があるのは驚くに値しない。肝心なのは、その後の調査研究において河野談話やクマラスワミ報告の根幹を揺るがすような発見があったのか、それとも大筋ではこれらの認識が裏付けられていったのか、だ。しかし『産経』の「慰安婦」問題報道は新たな研究成果から目を背け、初期の調査結果の不備をことさら取り上げることによって問題全体を否認するものとなっている。  第1部の第2回「河野談話の罪(2)蒸し返す韓国、シナリオ崩壊」(4月2日)では直接河野談話がターゲットになっている。『産経』の主張は(A)河野談話は「慰安婦」問題の決着のため韓国政府との間で内容についてすり合わせを行ったものであり「真相究明は二の次だった」、(B)日本政府がおこなった元「慰安婦」への聞き取り調査は「ずさん極まりない」ものだった、の2点に要約できる。  まずは(B)について。実はこの主張は、『産経』が河野談話を貶めるために行ったもう一つの主張によって、事実上無意味なものとなっている。この記事では93年2月に外務省で作成された内部文書「従軍慰安婦問題(今後のシナリオ)」から、「真相究明の結論および後続措置に関し、韓国側の協力が得られるめどが立った最終的段階で、必要最小限の形でいわば儀式として実施することを検討する」という一節が引用されている(下線は引用者)。記事は「こうした調査報告書のずさんさも、聞き取り調査自体が初めから「儀式」だったと思えば得心がいく」としているが、そもそも聞き取り調査が「儀式」に過ぎなかったのであれば、その調査内容が精緻を極めたものであれずさん極まるものであれ、結局談話の内容には影響がないはずだ。  このことは、その後同年6月20日に発表された河野談話作成過程等に関する検討チームの報告書、「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯〜河野談話作成からアジア女性基金まで〜」* によっても裏付けられる。「4 元慰安婦からの聞き取り調査の経緯」と題するセクションでは、次のように聞き取り調査の位置づけが報告されている(9ページ、下線は引用者)。
(7)聞き取り調査の位置づけについては、事実究明よりも、それまでの経緯も踏まえた一過程として当事者から日本政府が聞き取りを行うことで、日本政府の真相究明に関する真摯な姿勢を示すこと、元慰安婦に寄り添い、その気持ちを深く理解することにその意図があったこともあり、同結果について、事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかった。聞き取り調査とその直後に発出される河野談話との関係については、聞き取り調査が行われる前から追加調査結果もほぼまとまっており、聞き取り調査終了前に既に談話の原案が作成されていた(略)。
事実究明よりは誠意を示すことに主眼があり、聞き取り調査が終わる前に談話の原案はすでにできていた、というのだ。聞き取り調査の内容が談話の文言を方向づけたわけではないのだから、どれだけ聞き取り調査の内容にケチをつけたところで河野談話を否定する根拠にはなりようがない。歴史修正主義の主張が体系性を欠いており、攻撃対象(この場合は河野談話)を否定するために使えそうな材料ならなんでも場当たり的に利用しようとすることがよくわかる。
* http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000042166.pdf
 次に(A)についてはどうだろうか。本節の冒頭でも述べた通り、「歴史戦」シリーズ開始に先立って『産経』は河野談話が日韓の「合作」であるとする攻撃を談話に加えていた。14年1月1日の「河野談話 日韓で「合作」 関係者証言 要求受け入れ修正」は次のように述べる。
 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」について、政府は原案の段階から韓国側に提示し、指摘に沿って修正するなど事実上、日韓の合作だったことが31日、分かった。当時の政府は韓国側へは発表直前に趣旨を通知したと説明していたが、実際は強制性の認定をはじめ細部に至るまで韓国の意向を反映させたものであり、談話の欺瞞(ぎまん)性を露呈した。
この記事は河野談話の作成過程で両国政府の間に折衝があったことを新事実のように報じている。しかし、当時『産経新聞』のソウル支局長だった黒田勝弘記者は、『諸君!』の1993年10月号に「日韓合作 慰安婦「政治決着」の内幕」を寄稿、韓国側にとっては「絶対的な条件がいわゆる「強制性の認定」である」「韓国側にとっては「結論が先にあり」で、日本側がその結論に合わせてくれることを求めていた」としたうえで、河野談話作成の過程を次のように評している。
 これはつまり、「強制性」を認めない調査結果は真相調査としては認められないというものである。理屈でいえば、結論が先にある真相調査は調査ではないのだが、政治的、外交的決着のためにはそういうこともありうるのだろう。
 また1993年8月5日の『読売新聞』朝刊に掲載された解説記事「日韓新時代構築に不可欠」は、交渉の時期こそ明らかにしていないものの「強制」概念をめぐって日韓両政府の間にやりとりがあったことを伝えている。
 また、同じ「強制」という言葉でも、日本と韓国では解釈の違うこともわかった。 
 民間業者による元慰安婦の募集(徴用)の実態は、①力ずくで無理矢理連れていかれた②言葉巧みにだまされた③ある程度の自由意志はあったが、仕方なく応じた―などと、程度に応じて分類できる。日本では、旧軍人らが①のみを強制連行としたいのに対し、韓国側は広く、②と③も当然、強制性があると訴えたのである。
この記事は韓国政府が①のようなケースだけを「強制連行」と理解していたわけではないことがすでにこの当時報じられていたことを示すという意味でも、興味深いものだ。  日本軍「慰安婦」問題が外交課題となっていた以上、その解決のために出される談話について日韓間で事前の調整が行われなかったと考える方が不自然であり、「合作」を非難するのは的はずれであろう。問題は「合作」の結果として事実認定が歪められたかどうか、だ。  この点でも、14年6月の報告書は『産経』の主張を覆すものとなっていた。韓国政府の要望を受けた文言調整について、報告書はこう述べている。
 (……)日本側は、内閣外政審議室と外務省との間で綿密に情報共有・協議しつつ、それまでに行った調査を踏まえた事実関係を歪めることのない範囲で、韓国政府の意向・要望について受け入れられるものは受け入れ、受け入れられないものは拒否する姿勢で、談話の文言について韓国政府側と調整した。
『産経』は6月21日の社説「「河野談話」検証 やはり見直しが必要だ 国会への招致で核心ただせ」などで、「慰安婦の募集」について原案の「軍の意向を受けた」が「軍の要請を受けた」に変えられたことを問題視している。森友問題を契機にメディアを賑わせた言葉をもちいるなら、民間業者が軍の意向を「忖度」しただけだ、と『産経』は主張したいのかもしれない。しかし、「意向」と「要請」の違いが事実認定の正しさにどう関わってくるのかについては、具体的な指摘はない。  河野談話発表以降に得られた知見に照らせば、『産経』の主張に根拠がないことは一層明らかになる。陸軍における「慰安所」の法的位置づけに関する永井和・京都大学教授の発見* を『産経』は完全に無視しているからだ。
* この発見は公刊されたものとしては以下で明らかにされた。 
-永井和『日中戦争から世界戦争へ』思文閣出版、2007年、第5章「附 軍の後方施設としての軍慰安所」 
また、この発見については以下でも簡潔に解説されている。 
-永井和「軍・警察史料からみた日本陸軍の慰安所システム」、歴史学研究会・日本史研究会(編)『「慰安婦」問題を/から考える』岩波書店、2014年、所収 
-『朝日新聞』2015年7月2日朝刊、「(慰安婦問題を考える)「慰安所は軍の施設」公文書で実証 研究の現状、永井和・京大院教授に聞く」
 永井教授が明らかにしたのは、日中戦争勃発から間もない1937年9月29日、陸軍の内部規則である「野戦酒保規程」が改正されたことだ。野戦酒保とは戦地に設けられる物品販売所のことだが、この規程改正により野戦酒保に「日用品飲食物」を販売する施設に加えて「必要なる慰安施設」を設けることが可能となった。その「慰安所」は直営(「自弁」)が原則とされていたものの所管長官の認可を受ければ「請負」によることも可能とされる一方、その管理は「設置したる部隊長」によるものとされていた(原文のカタカナをひらがなに改めた)。  永井教授によればこのことが意味するのは、この改正野戦酒保規程に基づいて設置された「慰安所」はたとえ民間業者が運営するものであっても軍の正式な後方施設、兵站附属施設である、ということだ。業者や「慰安婦」は法的には陸軍の「軍従属者」として位置づけられ、憲兵による監視の対象であり軍法会議の管轄に属する立場にあった。軍の附属施設である「慰安施設」の〝従業員〟を集めるのだから、単に民間業者が軍の意向を忖度して集めるというものであるわけがない。しかし『産経』はこのような永井教授の指摘に対して、現在に至るまで一切反論できていない。これも先に述べた「過去の特定の時点に執着してそれ以降の研究の進展を無視する」という「歴史戦」シリーズの特徴の現れだ。 4. 植村隆・元『朝日新聞』記者バッシング  「慰安婦問題の原点」と題された第2部では、日本軍「慰安婦」問題に関わった個人や団体に対する攻撃が繰り広げられている。攻撃の対象となっているのは千田夏光氏、講義の教材に日本軍「慰安婦」問題に関するドキュメンタリー映画を用いた広島大准教授、植村隆・元『朝日新聞』記者、戸塚悦朗弁護士、韓国や日本の「元」慰安婦被害者支援団体だ。  歴史認識をめぐる相克を「歴史戦」ととらえるならば「敵」が存在するのは当然であり、「歴史戦」記事は一種の〝戦時プロパガンダ〟だということになる。この第2部から見て取ることができる「歴史戦」シリーズの(そして歴史修正主義的言説の)もう一つの特徴は、「敵」を貶めるためには主張の整合性など意に介さない、というものだ。  5月23日付の「慰安婦問題の原点(3)元朝日特派員「すぐ訂正でると」」は『朝日新聞』の「慰安婦」問題報道を攻撃する内容だが、この記事には次のような一節がある(〔 〕内は引用者の補足、以下同じ)

 〔平成〕3年12月に、韓国の民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし、弁護士の高木健一、福島瑞穂(社民党前党首)らが弁護人となって韓国人元慰安婦、金学順らが日本政府を相手取り損害賠償訴訟を起こす。
 朝日新聞はそれに先立つ同年8月11日付朝刊(大阪版)の植村隆の署名記事「元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」で、こう書いていた。 
 「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、(中略)体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた」 
 大きな反響を呼んだ記事ではこの女性は匿名となっているが、実は金学順だった。金が女子挺身隊の名で連行された事実はない。裁判の訴状で金は「キーセン(朝鮮半島の芸妓(げいぎ)・娼婦)学校に3年通った後、養父に連れられて中国に渡った」と述べている。 
 記者会見やインタビューでは「母に40円でキーセンに売られた」とも語っており、植村の記事は歪曲(わいきょく)だといえる。その上、植村は太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部の娘婿でもあった。
翌24日の「慰安婦問題の原点(4)「親北」公言する韓国の反日団体」に見られる次の一節と上の引用とを比較してみていただきたい。
 挺対協の働きかけで元慰安婦らが東京地裁に提訴し、〔平成〕4年1月に朝日新聞が「慰安所 軍関与示す資料」と大々的に報道すると、直後に北朝鮮国営の朝鮮中央通信はタイミングを計ったようにこう伝えた。
元「慰安婦」被害者が起こした訴訟は複数あるが、その直後に「〔平成〕4年1月に朝日新聞が「慰安所 軍関与示す資料」と大々的に報道すると」とされていることから、この「東京地裁に提訴し」が前日の記事と同じ訴訟を指していることは間違いない。前日の記事では「「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし」としていたその同じ訴訟について、24日の記事では「挺対協の働きかけで元慰安婦らが東京地裁に提訴し」としているのだ。『産経』をはじめとする右派メディアの植村元記者バッシングが、植村氏の縁戚関係—植村氏の妻が「太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部」である梁順任(ヤン・スニム)氏の娘であること―を焦点化していたことを考えるなら、これこそ〝捏造〟といっても過言ではない事実の歪曲だ。『朝日』の「慰安婦」報道検証特集掲載後の14年10月に刊行された前述の単行本でもこの記述はそっくり踏襲されている(122、127ページ)。  1991年12月に金学順(キム・ハクスン)さんら元「慰安婦」被害者3人を含む韓国の戦争被害者が日本政府に対して起こした訴訟を主導したのは、挺対協ではなく太平洋戦争犠牲者遺族会(遺族会)だった。『産経』も同年12月6日夕刊で「原告は、韓国の戦争被害者と遺族でつくる「太平洋戦争犠牲者遺族会」の会員」だと報じている。植村元記者は、義母が関与するこの訴訟を有利にするために〝捏造〟記事を書いたと右派メディアからバッシングされてきた。産経新聞社が発行する月刊誌『正論』は植村元記者が『文藝春秋』2015年1月号に『文藝春秋』に寄稿した手記で取材の経緯を説明したあとの15年2月号にも、西岡力・東京基督教大学教授(当時)の次のような主張を掲載している(69ページ)。
 (……)そして、他紙の記事などと違って植村氏が悪質なのは、彼が慰安婦問題の利害関係者であるということだ。義理の母らが起こした日本政府に対する裁判を結果的に有利にするような捏造記事を書いたという点で、朝日と植村氏の責任は重大だ。(……)
91年8月11日の記事を植村元記者が書いた時点で金学順さんをサポートしていたのは挺対協であり、当時の『朝日』ソウル支局長経由で植村元記者に情報を提供したのも挺対協だった。その時点で、金学順さんは遺族会とは関係を持っていなかった。植村元記者には〝義母が起こした訴訟を有利にする〟という動機など持ちようもなかったのだ。  ところが、『産経』は植村元記者を攻撃した23日付の記事では「その上、植村は太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部の娘婿でもあった」とする一方、翌24日付の記事では「挺対協の働きかけで元慰安婦らが東京地裁に提訴し」としているのだ。『産経』では校閲・校正がまったく機能しておらず、「歴史戦」取材チームの間でわずか1日違いの記事の内容について意思統一がなされていないというのだろうか? まともなメディアにはあるまじきそのような可能性を排除するなら、考えられるのは〝植村元記者を攻撃する時には金学順さんらの訴訟を遺族会が主導したものとして描き、挺対協を攻撃するときには同じ訴訟を挺対協主導のものとして描いた〟ということしかない。「捏造」を疑われて当然なのはむしろ『産経新聞』の方ではないのだろうか。

2019年6月10日月曜日

『「満洲」へ渡った朝鮮人たち』(世織書房)関連イベント(転送)

転送・拡散歓迎」として回ってきたイベント情報をお知らせいたします。

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新刊『「満洲」へ渡った朝鮮人たち』(6月17日発売!)に関連して、以下のようなさまざまイベントが開かれます。とくに写真展示展@高麗博物館は2週間限定です。(転送・拡散歓迎)

植民地期の中国東北=「満洲」には、在日朝鮮人と同じく植民地支配に起因して、朝鮮半島から渡った朝鮮人数は200万人以上に達しました。今回は、「満洲国」期の関東軍や「満洲国」政府、朝鮮総督府の集団移民政策によって、「満洲」の荒地にして抗日武装闘争の最前線に行かされた朝鮮人一世など600人を20年間にわたってインタビュー、写真撮影をした李光平(リ・グァンピョン)さんが中国延辺(朝鮮族自治州)から来日します。
李光平さんの写真展や新刊には、移民たちの生活、葛藤、抗いなどが生々しく描かれています。そのなかには、朝鮮人男性とは異なる移民体験をした朝鮮人女性、そして釜山から「満洲」の慰安所に行かされた元「慰安婦」被害女性も入っています。
なかなか見る機会のない写真展示展&イベントですので、ぜひともご参加ください。新刊も割引します!
1)高麗博物館でのイベント
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『植民地朝鮮から「満洲」へ渡った朝鮮人移民』写真展・講演会・連続歴史講座のご案内 
☆李光平(リ・グァンピョン)写真展:予約は不要。
6月26日(水)~7月7日(日)12時~17時  ※7月1日(月)は休館日 2週間限定
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☆李光平氏来日記念講演会
「〈在満〉朝鮮人の移動と生活を記録する~延辺地区フォトインタヴュー調査20年の経験から」:
6月29日(土)14:00~16:30 ※事前予約必要 03-5272-3510 
司会・解説:中野敏男
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☆連続歴史講座 第1回目:
7月2日(火)13:30~16:00 ※事前予約必要 03-5272-3510
①橋本雄一「万宝山事件と文学のことば~『満洲事変』前夜の中国東北・朝鮮・日本~」
②金雪梅 「“北間島”の詩人、尹東柱~植民地期中国東北・朝鮮そして日本をたどって読む~」
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7月6日(土)13:30~16:00 ※事前予約必要 03-5272-3510
①飯倉江里衣「『満洲』における抗日運動と朝鮮人~『間島』の1919年3・13独立運動とその後~」
②金富子「植民地から『満洲』への朝鮮人移民史~『満洲国』期を中心に~」(映像上映あり)
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NEW〇李光平先生ギャラリートーク(全2回) 
※事前申し込み不要、会費:入館料のみ
写真について、李光平先生に解説をしていただきます。自由に質問もできる貴重な機会です!
第1回目:6月26日(火)16:00~17:00
第2回目:7月 5日(金)16:00~17:00
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〇書評講演会  ※事前申し込み不要、参加費無料、通訳あり
日時:6月30日(日)13:00~16:30
会場:東京外国語大学 海外事情研究所(講義棟427)
講演者:李光平(ドキュメンタリー写真家、龍井3.13記念事業会会長)
書評者:康成銀(朝鮮大学校朝鮮問題研究センター長)、
寺沢秀文(満蒙開拓平和記念館館長)
    朴敬玉(一橋大学特任講師)、
主催:科学研究費補助金 基盤研究(B)「日本/朝鮮・中国東北からみた「満洲」の記憶と痕跡~輻輳する民族・階級・ジェンダー~(課題番号:16H03325)」(代表者:金富子)
共催:海外事情研究所
『「満洲」に渡った朝鮮人たち 写真でたどる記憶と痕跡』
李光平 写真・文
金富子 中野敏男 橋本雄一 飯倉江里衣 責任編集
2400円+税、世織書房
 
目次
はじめに—離郷の人生を語る姿と言葉
日本にとっての「満洲」、朝鮮にとっての「満洲」  中野敏男 
◆「満洲」に渡った人びとのいま 
集団移民の魂を探して数万里
—『「満洲」に渡った朝鮮人たち』刊行にあたって  李 光平(飯倉江里衣訳) 
 —李光平のオーラルヒストリー・ノート  写真・文 李 光平(翻訳・監修 金 富子・飯倉江里衣)
プロローグ 李光平 集団移民の調査へ 
1章 移動 朝鮮から「満洲」へ 
2章 土塁を築いての出発 
3章 植民地政策としての集団農業移民 
4章 対官憲・対植民地軍 
5章 東北抗日聯軍との接触 
6章 それぞれの家族と生活 
7章 女性たち 
8章 日本軍「慰安婦」 
9章 ″光復〟後の新しい生活 
「満洲国」期の朝鮮人移民と集団部落  孫 春日(金 富子訳)
植民地帝国日本と朝鮮人の移動  金 富子 
移動という生存、抗い、円環—植民地空間をめぐる文学テクストたちを辿って  橋本雄一 
間島における抗日闘争と日本の鎮圧政策—朝鮮人集団移民政策の背景  飯倉江里衣 
コラム 写真から見る中国朝鮮族の若い世代からの民族史・個人史 朴 紅蓮 
あとがき 
参考文献 
関連年表(朝鮮、「満洲」・中国を中心に) 
●李 光平(リ グァンピョン)
ドキュメンタリー写真家、群衆文化専業副研究館員、龍井3.13紀念事業会会長。編著に『中国朝鮮族民俗』(中国旅游出版社)、『写真で見る中国朝鮮族民俗写真』(延辺人民出版社)、『中国朝鮮族史料全集 歴史篇 移民史 11巻』(延辺人民出版社)、『口述、延辺65年』(延辺人民出版社)など多数。
●金 富子、中野敏男、橋本雄一、飯倉江里衣
●孫 春日(ソン チュニル)
植民地期朝鮮人移民史研究。延辺大学人文科学学院教授。著書に『「満洲国」時期朝鮮人開拓民研究』(延辺大学出版社 )など多数。
●朴 紅蓮(ボク コウレン)
ジェンダー論、寧波大学専任講師。著書に『中国の育児期女性と「良き母親」言語:都市部で働く「80後」の高学歴女性を中心に』(吉林大学出版社)


下記のイベントはすべて@高麗博物館(最寄り駅:新大久保駅、大久保駅)
☆連続歴史講座 第2回目:
以上の共催:東京外国語大学「李光平写真集」刊行委員会・高麗博物館
2)東京外国語大学でのイベント
3)新刊本の内容
第1部 写真が語る朝鮮人集団移民と「満洲」
第2部 背景を理解するために   
【著編著者プロフィール】
責任編集
執筆者

2018年11月16日金曜日

選択的懐疑主義


歴史学者D・リップシュタットとホロコースト否定論者D・アーヴィングの裁判を描いた映画『否定と肯定』において、リップシュタット側の代理人は「釣り銭を間違えるウェイター」の喩えでアーヴィングを断罪します(これは実際に法廷で行われた弁論に依拠したシーンです)。ウェイターが正直ならば客が得をするように間違えることも自分が得をするように間違えることもあるだろう。しかし常に自分が得をするように“間違えて”いるなら、それは意図的なゴマカシなのだ……というのが大意です。

同じことは日本の近現代史に関して「ただ事実を確認したいだけだ」とか「議論すら許されないなんておかしいじゃないか」などと言い出すひとについても指摘することができます。彼らの懐疑的な関心はあらゆる方向に向けられているでしょうか? 彼らは広島・長崎の原爆死没者名簿の“毎年増え続けている記載人数に懐疑の目を向けるでしょうか? 彼らはシベリア抑留中の死亡と強制労働の因果関係について法医学的な証明を要求するでしょうか? 彼らは東京大空襲で亡くなったとされる約10万人の遺体のうち、“発見”されていない約1万5千体について「議論」することを要求してきたでしょうか?

あるいはこう問うてみてもいいでしょう。彼らは「カチンの森の虐殺」が本当にソ連軍によるものであるのかどうかについての議論をすべきだと主張しているでしょうか? クメール・ルージュの犠牲者の数がはっきりしないことに疑問をいだき、大虐殺が「幻」である可能性を追及しようとしているでしょうか?

もし彼らが歴史的事実に関心を持っているなら、その懐疑精神は大日本帝国の負の側面にも正の側面にも等しく向けられるはずです。しかし彼らが大日本帝国の加害にだけ「確認」や「議論」や「検証」を要求するなら、彼らは歴史修正主義者なのです。








2018年8月7日火曜日

「捏造」? 「誤報」? 「歴史戦」連載第2部の大問題


私も寄稿した『検証 産経新聞報道』(金曜日)および、同書の原型となった『週刊金曜日』2017年2月17日号掲載の特集「『歴史戦』に負けた『産経新聞』(この特集にも私は高嶋伸欣さんとの対談で登場)における不祥事に関して、同誌2018年8月3日号に掲載された検証記事が同誌公式サイトにも掲載されました。
通常、自著の刊行後は宣伝を兼ねて、SNS等で読者の方向けに補足情報、関連情報を発信しているのですが、この問題の把握後は『検証 産経新聞報道』への言及を控えておりました。とはいえ、私の寄稿部分(「『産経新聞』の“戦歴”「歴史戦」の過去・現在・未来」)には広く知っていただきたい事柄も含まれてはおりますので、一連の経過と再発防止のための取り組みが公表されたことを期に、執筆過程でもっとも驚いたことを紹介しておきたいと思います。

まずは【歴史戦】連載の第2部「慰安婦問題の原点(3)後半」(2014年5月23日)と「慰安婦問題の原点(4)前半」(2014年5月24日)をご覧ください。前者には次のような一節があります。
 3年12月に、韓国の民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし、弁護士の高木健一、福島瑞穂(社民党前党首)らが弁護人となって韓国人元慰安婦、金学順らが日本政府を相手取り損害賠償訴訟を起こす。
他方、後者では同じ訴訟について、次のような記述があります。
 挺対協の働きかけで元慰安婦らが東京地裁に提訴し、4年1月に朝日新聞が「慰安所 軍関与示す資料」と大々的に報道すると、直後に北朝鮮国営の朝鮮中央通信はタイミングを計ったようにこう伝えた。
後者には原告の名前が書かれていませんが、「4年1月」(1992年1月)以前の訴訟ですから、これは明らかに前日23日の記事が言及している金学順さんらの訴訟を指しています。同じ訴訟について、23日には「「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし」としていたのに翌24日には「挺対協の働きかけで」としているわけです。
日本軍「慰安婦」問題について基礎的な知識をお持ちの方ならすぐわかる通り、正しい記述は23日のものです。金学順さんは「挺対協の働きかけ」で名乗り出たものの、訴訟については遺族会と行動を共にしたからです。
同じ取材班が書いた2日連続の記事において、同じ訴訟についてまったく異なる(そして一方は誤った)記述がなされている、というのはいったいどういうことでしょうか。『産経新聞』は取材班のなかでろくに取材テーマについての情報共有もなされず、校正も校閲もまったく機能していないということなのでしょうか?
しかし2つの記事全体を読むとこれは意図的な書き分けなのではないか? という疑惑が生じます。というのも、23日の記事は元『朝日新聞』記者の植村隆さんを攻撃対象としているのに対して、24日の記事は挺対協を攻撃対象としているからです。右派は植村さんの義母が遺族会の幹部であったことをさんざんとりあげてきました。23日の記事でも金学順さんらの訴訟の「母体」が遺族会であることに言及されているのはそのためです。ところが挺対協を攻撃対象とする24日の記事では、金学順さんに提訴を働きかけたのが挺対協であるという、事実に反する記述をしているわけです。右派の「慰安婦」問題言説を追いかけてきた私としては、これが単なるミスである……なんてことを信じるほどお人好しにはなれません。
むろん、「捏造」であるかどうかは取材班の主観的認識に依存することですから、その主観的認識にかかわる別の証拠がない限り「捏造」だと断定することはできません。しかし『産経新聞』が『朝日新聞』に対しては実に軽々しく「捏造」という非難をぶつけてきたことを想起するなら、これを「捏造」と呼ばない理由も思いつきません。

なおウェブ掲載版だけでなく紙面版でも当該箇所は上記の通りになっており、さらに単行本『歴史戦 朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を討つ』(産経新聞出版)でも同様である(122、127ページ)ことも申し添えておきます。単行本でも24日分の記述が訂正されていないことが、「捏造」の傍証になることは言うまでもないでしょう。






2018年6月14日木曜日

『右派はなぜ家族に介入したがるのか』書評研究会(@京都)


中里見博・能川元一・打越さく良・立石直子・笹沼弘志・清末愛砂『右派はなぜ家族に介入したがるのか 憲法24条と9条』、大月書店、2018年5月
「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」を掲げる24条は、9条と並んで改憲のターゲットとされてきた。――それはなぜか?「家族」を統制しようとする右派の狙いを読み解き、24条と9条を柱とする「非暴力平和主義」を対置する。
 拙稿は一昨年の「日本会議本」ブームの際に注目を浴びなかった論者を中心に、「家族」「24条」「育児」などについて積極的に発言している右派の論者をとりあげ、24条改憲論の背後にある家族イデオロギーの一端を明らかにしようとしたものです。

 7月月6日に京都で同書の書評研究会を開催します(共催:ジェンダー法学会関西支部)。どなたでもご参加いただけます。

評者コメント:松本克美(立命館大学)、植松健一(立命館大学)
執筆者応答:中里見博、能川元一、立石直子、笹沼弘志、清末愛砂

2018年7月6日(金) 18:30〜20:30
キャンパスプラザ京都 2階 第3会議室











2018年5月25日金曜日

近刊『まぼろしの「日本的家族」』


早川タダノリ(編著)『まぼろしの「日本的家族」』(青弓社ライブラリー93)、青弓社、2018年6月27日刊行予定
2012年に自民党が発表した「日本国憲法改正草案」に明らかなように、改憲潮流が想定する「伝統的家族像」は、男女の役割を固定化して国家の基礎単位として家族を位置づけるものである。 右派やバックラッシュ勢力は、なぜ家族モデルを「捏造・創造」して幻想的な家族を追い求めるのか。 「伝統的家族」をめぐる近代から現代までの変遷、官製婚活、結婚と国籍、税制や教育に通底する家族像、憲法24条改悪など、伝統的家族を追い求める「斜め上」をいく事例を批判的に検証する。
 昨年開催されたPARC自由学校の連続講座「まぼろしの「日本的家族」」をベースとした本書に私も第2章「右派の「二十四条」「家族」言説を読む」を寄稿いたしました。
 先月刊行された『右派はなぜ家族に介入したがるのか』所収の拙稿も、本書に所収の拙稿もそれぞれ4節からなっており、第1節はどちらも右派の改憲論の現状を報告したものです。そのため基本的には同じような内容になっておりますが、なるべく異なる資料を紹介するようにいたしました。残りの2〜4節についてはほとんど重複のない内容にしたつもりです。










2018年4月30日月曜日

『右派はなぜ家族に介入したがるのか』刊行&公開合評会


中里見博・能川元一・打越さく良・立石直子・笹沼弘志・清末愛砂『右派はなぜ家族に介入したがるのか 憲法24条と9条』、大月書店、2018年5月
「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」を掲げる24条は、9条と並んで改憲のターゲットとされてきた。――それはなぜか?「家族」を統制しようとする右派の狙いを読み解き、24条と9条を柱とする「非暴力平和主義」を対置する。

目次序章 なぜいま憲法24条と9条か 中里見博第1章 右派はなぜ24条改憲を狙うのか?――「家族」論から読み解く 能川元一第2章 家庭教育支援法の何が問題なのか?――24条を踏みにじる国家介入 打越さく良 第3章 「家」から憲法24条下の家族へ 立石直子第4章 日本社会を蝕む貧困・改憲と家族――24条「個人の尊厳」の底力 笹沼弘志第5章 非暴力平和主義の両輪――24条と9条 清末愛砂第6章 非暴力積極平和としての憲法の平和主義 中里見博
 拙稿は一昨年の「日本会議本」ブームの際に注目を浴びなかった論者を中心に、「家族」「24条」「育児」などについて積極的に発言している右派の論者をとりあげ、24条改憲論の背後にある家族イデオロギーの一端を明らかにしようとしたものです。

 刊行直後の6月1日に同書の公開合評会を予定しております。評者として君島東彦氏(立命館大学)にご登壇いただく予定です。特にご予約などしていただく必要はなく、どなたでもご参加いただけます。

日時:2018年6月1日(金) 18:30〜20:30
場所:文京シビックセンター3階南 障害者会館 会議室








2018年4月8日日曜日

D・リップシュタット『否定と肯定』


デボラ・E・リップシュタット『否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い』、ハーパーBOOKS、2017年  1996年、アメリカの歴史学者デボラ・リップシュタットは彼女の著作 Denying the Holocaust: the growing assault on truth and memory (1993) のイギリス版を刊行した出版社ペンギン・ブックスとともに、イギリス人著述家D・アーヴィングから民事訴訟を起こされる。ホロコースト否定論を扱った同書(1995年に邦訳が『ホロコーストの真実 大量虐殺否定者たちの嘘ともくろみ〈上〉〈下〉』として恒友出版から刊行されている)のなかでアーヴィングを「否定論者」として扱ったことが名誉毀損にあたるという理由だ。  本書はこの訴訟の準備段階からアーヴィングの敗訴で決着するまでを、リップシュタットの視点から描いたもの。2005年に History on Trial (裁かれる歴史)のタイトルで刊行され、その後この裁判を題材とした映画の公開にあわせて改題(Denial: Holocaust History on Trial)された。映画は日本でも、本書が刊行されたのと同じ2017年に公開されている。  リップシュタットは多くの人々からの支援を得て裁判を闘うことができたが、その一方で裁判に対する奇妙な反応に戸惑わされることになる。リップシュタットがアーヴィングに勝訴することで、歴史に関して通説とは異なる主張を行う自由が萎縮するのではないか、といった見方をする人々が現れたからだ。実際にはアーヴィングがリップシュタットを訴え、アーヴィングに対する彼女の批判を封じようとしたにもかかわらず、だ。  本書から私たちが学ぶことのできるもっとも重要な教訓の一つがここにある。ホロコースト否定論は決して歴史についての“さまざまな見解の一つ”なのではない。なぜなら否定論は史料を故意に歪めて解釈する、都合の悪い史料を無視する、といった不当な手法に立脚しているからだ。裁判でリップシュタット側の証人となった歴史学者のリチャード・エヴァンズが証言したように、否定論者は「政治的な理由から歴史を歪曲」しているのであり、歴史学のふりをしてはいるものの実際には人種差別的な動機に基づく政治活動なのだ。  “どんなことでもタブーとせずに議論すべきだ”という訴えはもっともなものに思える。否定論者は私たちのそうした良識につけ込み、“学者たちが言っているのとは違う真実があるかもしれない”という疑惑を植え付けようとする。だが否定論者たちの土俵にあがって「ホロコーストの真実」を“再検証”しようとすることは、生存者や犠牲者の遺族を深く傷つける行為であることを知っておかねばならない。リップシュタット、ペンギン・ブックスの弁護チームが生存者を証人として呼ばなかった――法廷での証言を望む生存者はいたにもかかわらず――理由の一つは、アーヴィングに生存者を侮辱する機会を与えないためだった。  欧米社会ではホロコースト否定論のような歴史修正主義はあくまで周辺的な存在であるのに対し、日本社会ではこの二〇年間歴史修正主義が存在感を増し続けている、という事情の違いはある。しかしいまの日本社会を客観視するための鏡として、本書が有益であることは間違いない。

2018年2月8日木曜日

『「慰安婦」問題と未来への責任』公開書評会

 2017年12月に刊行された『「慰安婦」問題と未来への責任』(大月書店)の公開書評会が下記要領で開催されるとのことです。

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刊行記念公開書評会  ◉日韓「合意」を再検証した書『「慰安婦」問題と未来への責任〜日韓「合意」に抗して』

2018年2月24日(土)13001630(開場12:30


【評者】
  宮城晴美(沖縄近現代史、ジェンダー史)
  加藤圭木(朝鮮近現代史)
  鵜飼哲 *予定(フランス文学・思想)
【韓国から特別報告】

金昌祿(法史学/慶北大学法学専門大学院教授)


執筆者●中野敏男 板垣竜太 吉見義明 金昌祿 岡本有佳 渡辺美奈 米山リサ 永井和 金富子 小野沢あかね 北原みのり 小山エミ テッサ・モーリス=スズキ 池田恵理子 李娜榮 梶村太一郎 永原陽子 梁澄子

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 日韓両政府が発表した日韓「合意」(2015年)から2年。韓国で「被害者の意見が反映されなかった」という「合意」検証結果(201712月)が発表されて、「慰安婦」問題が再び注目されています。検証では「裏合意」まで明らかにされ、これを受けて文在寅大統領は、「合意」には「手続き的にも内容的にも重大欠陥」があったと認めました。日本のメディアは相変わらず「合意を順守すべき」などと安倍政権べったりの報道ですが、「慰安婦」問題はまたひとつの山場を迎えています。
 本書は、日韓の識者が、日韓「合意」(第1章)と新旧の歴史修正主義(第2章)を徹底検証し、被害者の声を受けとめた解決と未来にむけて果たすべき責任(第3章)を探っています。
 公開書評会では、沖縄から宮城晴美さんをお招きし、加藤圭木さん、鵜飼哲さん(予定)を評者とし、執筆者たち(一部)も参加して、本書と「慰安婦」問題の現在・未来について、思う存分に語りたいと思います。


資料代■500円(学生無料)
事前申込制■higashiasia2018@gmail.com
       TEL080 9429 8739(近現代東アジア研究会)
会場■津田塾大学  千駄ヶ谷キャンパス・3階 SA305教室
JR総武線「千駄ヶ谷」徒歩2分
都営大江戸線「国立競技場」A4出口徒歩2分
メトロ副都心線「北参道」徒歩10
主催■『「慰安婦」問題と未来への責任』編著者
   津田塾大学国際関係研究所 近現代東アジア研究会
協賛■大月書店



2018年1月15日月曜日

薄っぺらい「宣撫工作」理解と歴史修正主義

 この数日、ツイッターで相当の回数「拡散」されているブログ記事がある。「拡散希望です)大陸に出征した軍医さんへの命令書(未公開)2016.1.26」と題する約2年前のものだ。ケント・ギルバートや高須克弥のアカウントまで「拡散」に加わっている。
この「命令書」と「写真」の史料批判については専門家でもない私が口をだすことではないだろうが、歴史修正主義者の振る舞いという観点からみるといくつか興味深いところがある。

まず第一に、この記事に「南京大虐殺が存在しなかった写真つき証拠が発見される」というタイトルを付けて転載しているまとめサイトがいくつかあること。しかしこの写真、ブログ主は「南京の様子がアルバムに残っていました」としているけれども、誰が見ても南京とは似ても似つかぬ地方都市の風景である(注1)。「南京事件の証拠とされる写真が、南京で撮影されたものではなかった!」というのは南京否定論者が好んで主張してきたことであるが、なんのことはない「南京事件が捏造の証拠、とされる写真が南京で撮影されたものではなかった!」のである。ちなみに、コメント欄をみると、すでに同様の指摘がいくつもなされている。しかしブログ主もこの数日の拡散者たちも、そんなことはまったく意に介する様子はない。

もちろん、仮にこれらが当時の南京の風景を写したものであったとしても、「南京大虐殺が存在しなかった証拠」になどなりはしない。「虐殺など見なかった」「市内は平穏だった」という元将兵の“証言”をいくつか集めて「ほらみろ大虐殺はなかった」とする『産経新聞』などと同じ手口である。時空間的に大きな広がりを持つ出来事の不存在を証明するためには一体どれほどの「証拠」を積み上げる必要があるか、についての真面目な検討など行ったことがない人間にのみ為しうる業と言えよう。

最近の私の関心からすると更に興味深いのが、「施療してやったり宣撫したりと、虐殺からはほど遠いことがわかります」というブログ主の認識だ。私はかねてから「南京大虐殺は国民党のプロパガンダ」だという否定論の主張や、「WGIP」論について、「プロパガンダ」の理解が極めて浅薄であることを指摘してきた。前者は「プロパガンダである」ことが立証できれば(実際にはそこもで立証できてないのだが)捏造であることが明らかになる、という薄っぺらい認識に基づいている。ケントWGIP本は論外として、江藤淳や高橋史朗といった本家の著作においても、実証的な装いが凝らしてあるのは検閲や宣伝の「計画」の部分までで、それがどのように実行され・どの程度影響を与え・その影響がどの程度持続したのかという部分については極めてドグマ的で、実証主義のフリすらしていない。まるで「プロパガンダが計画されたのであれば、それは計画通り実行され計画通りの効果を発揮するものである」と言わんばかりだ。

同様にペラペラな認識をブログ主も見せている。この人物(および好意的に「拡散」している者たち)はまさか、宣撫工作というのは占領軍が占領地の住民に好意を持っているから行うものだ、とでも思っているのだろうか? 自分でタイプしながらも失笑してしまうほどありえない理解なのだが、そうとでも考えなければ「施療してやったり宣撫したりと、虐殺からはほど遠いことがわかります」などという主張は成立しないだろう。もちろん実際には、占領地の住民が占領軍を快く思わないのが通例であるからこそ、宣撫工作というのは必要となるのである。GHQだって日本各地で宣撫工作をやったわけだが、「だから東京大空襲はなかった」と言われて納得するのだろうか、彼らは?

プロパガンダや宣撫工作についてのこうした浅薄な理解の持ち主たちは、実生活でも「甘い言葉を囁くやつは後ろ暗いところがあるか、あるいはろくでもないことを企んでいる可能性がある」ことに思い至らないくらいのお人好し揃いなのだろうか? まさかそんなことはあるまい。「結論先にありき」な歴史修正主義だからこそ、極めて非常識な人間観を前提せざるを得なくなる、ということなのだ。



(注1)ブログ主が「赴任5日目の南京の市場らしいです。活気があります。」としている写真のキャプションは正しくは「五日目毎(ゴト)ノ部落ノ市」であろう。南京市街に立つ市を「部落の市」と書くはずがない。