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1991年のある投書

 1991年の7月30日、すなわち植村隆氏による金学順さんに関する最初の記事が掲載されるわずか10日前ほどの『朝日新聞』(大阪本社)朝刊の「女たちの太平洋戦争」欄に、次のような投書が掲載されていた。投書の主の氏名は伏せるが当時74歳の在日コリアン男性である。
 本欄によれば「大阪M遊郭から来た慰安婦もいたから、金に買われた女性も多い」とあったが、彼女らは軍人の慰安婦になるため身を売ったのではない。年配の方なら彼女たちの境遇は理解出来ると思う。ちなみに朝鮮人の娘たちは強制連行である。    どちらにしても、この女性たちは日本軍のなぶりものにされ、慰安婦という不浄なレッテルを張られたまま使い捨てにされ、その後の詳しい消息は今も不明のようである。かろうじて生き延びた女性が今は老女となり、日本国に何人かいると聞くが、この老女たちは過去の忌まわしい出来事を語ろうとはしない。   (中略)
  時には日本人から「侵略も悪いが、侵略された国にも責任がある」と言われることがある。なるほどと思う。   たとえ朝鮮民族が討ち死にして滅亡しても、日本の侵略に立ち向かって国家を守るべきだった。  (後略)
下線は引用者。
 この投書が興味を引く理由はいくつかある。一つは、こんにち日本の右派の一部(その代表格は中山成彬元衆院議員)が日本軍「慰安婦」問題に関して主張すること、すなわち「もし本当に多数の朝鮮人女性が強制連行されていたというのなら、なぜ朝鮮人(男性)は抵抗しなかったのか?」と似たようなことを在日コリアンに向かって言う日本人が当時もいたのだな、ということがうかがえる、という点。この論理は、「後になって『勝者の裁き』だの『押しつけ憲法』などと文句を言うのであれば、本土決戦で一億玉砕しておけばよかったのに」という具合に右派に跳ね返ってくるのであるが。
 しかし私がこの投書をとりあげた一番の理由は、当時74歳だった−−ということは1910年代生まれの−男性が、この10日ほど後に掲載される記事に加えられる非難にあらかじめ反論していた、という点にある。「彼女らは軍人の慰安婦になるため身を売ったのではない」。これさえわかっていれば、金学順さんが「キーセン学校」に通っていた経歴などまったく記事にするに値しないことが了解できるだろう。
 なおこの男性が「朝鮮人の娘たちは強制連行」されたと書いているからといって、吉田清次“証言”にみられるような連行形態を思い浮かべていたとは限らない、ということにも注意が必要である。90年、91年当時の朝鮮人強制連行に関する『朝日新聞』の記事では、強制連行が「募集」「官あっせん」「徴用」とさまざまな方法で行われたことが記されていることが度々あり、かつ「村人から何人出せ」と地域共同体に圧力をかける方式や、出稼ぎで来日し土木現場を転々としているところへ「役場(市役所)から呼び出しがあった」というケース、さらには「おれたちも白い米を食おう」と言い残して日本に渡ったケースなどまで含めて「強制連行」の被害者として扱っている。
 また、「挺身隊」についても同様で、「パラオ挺身隊」として戦闘に参加した人々が集められた経緯を「挺身隊は43年ごろ、日本軍が公募。志願した29人がパプアニューギニアへ行き」としている例がある。この当時の『朝日新聞』読者なら、「(強制)連行」「挺身隊」という単語から直ちに吉田清次的な“人狩り”を想起するわけではない、ということがうかがえるだろう。

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歴史修正主義は何によってそう認定されるか

 誤解されがちなのですが、歴史修正主義的な主張は「結論が通説と違うから」とか「日本軍を美化しているから」といった理由で「歴史修正主義的だ」と判断されるわけではありません。神ならぬ私たちは歴史記述それ自体だけをとりあげて「これは史実に合致している」とか「史実に反している」と判断することはできないからです。肝心なのはむしろある歴史記述(と主張されているもの)がどのような方法で導き出されているか、です。史料の取捨選択やその解釈、史料からの推論などがまったく妥当性を欠いている場合に「偽史」とか「歴史修正主義」という判断が下されるわけです。「おかしな結論」が出てくるのは「おかしな方法」が用いられているからなのです。一定の合理性を備えた方法によって導き出された歴史記述同士の対立は学術的な議論の対象になりますが、歴史修正主義は「疑似科学」の一種であって「歴史学の内部における、通説への挑戦」ではありません。
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新刊のお知らせ

 2016年6月23日に岩波書店より、山口智美さん、テッサ・モーリス−スズキさん、小山エミさんとの共著『海を渡る「慰安婦」問題――右派の「歴史戦」を問う――が刊行される予定です。一冊まるまる、右派による「歴史戦」の企てを批判的にとりあげた書籍はおそらくこれがはじめてであろうと思います。


 私が担当した第1章は、月刊右派論壇誌がこの20年間でどのように「歴史戦(歴史戦争)」言説をつくりあげてきたかを概観する内容となっております。テーマとしては昨年早川タダノリさんと共に刊行した『憎悪の広告 右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(合同出版)の第3、9、12章などと共通しており、実際に『憎悪の広告』執筆に用いた資料が今回も大いに役に立ちました。過去20年間の右派論壇誌の新聞広告を約140点収録した『憎悪の広告』は『海を渡る「慰安婦」問題』が描き出す右派の「歴史戦」についての具体的なイメージをつかむうえでの一助となると自負しております。新刊ともども、この機会にお手にとっていただければ幸いです。



歴史修正主義の手法に見られるパターン

 心理学者のセス・C・カリッチマンは『エイズを弄ぶ人々ー疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(化学同人、2011年。原題 Denying AIDS: Conspiracy Theories, Pseudoscience, and Human Tradegy, 2009)においてエイズ否認主義の典型的な手法をまとめています。実はこの手法は疑似科学一般にも、さらには歴史修正主義においても見られるものです。カリッチマンは科学ジャーナリストのマイケル・シャーマーの分析に着想を得ているのですが、シャーマーはホロコースト否定論が疑似科学と同じパターンの論法を使用していることを指摘しています(『なぜ人はニセ科学を信じるのか II』、早川文庫)。以下にカリッチマンの指摘の主なものをメモしてコメントを付します。太字になっているのは原文の小見出し。
第4章  否認主義者のジャーナリズムと陰謀説
エイズをめぐる大規模な議論?(164ページ〜)
「否認主義のジャーナリストは、HIVがエイズの原因かどうかについて、公の場で公正な議論を行うことをしつこく要求する」「否認主義者から見れば、エイズ学者は真実の発覚を恐れて、HIVがエイズの原因かどうかについての議論を避けている、ということになるようだ」「一方、エイズ学者から見れば、HIVがエイズの原因かどうかという問題はすでに解決済みであり、改めて議論すれば、それを未解決と見なすことになるのだ」
コメント:河村たかし・名古屋市長が南京大虐殺否定発言の問題化後に言い訳として用いたのもこの論法。ネットにも「検証するくらいいいじゃないか」みたいな発言はゴロゴロしているが、しかしそんなことを言う人々が過去の「議論」の蓄積をきちんと参照したためしはない。
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「否認主義には宗教的含みが無数に見られ、特に主流のエイズ学について説明する際には、しばしば宗教がかった言い方をする。エイズ学は『正統派(オーソドクシー)で、「HIV=エイズの教義(ドグマ)」を奨励し、HIVがエイズの原因かどうかに疑問を持つ科学者を「破門する」、といった具合だ」「科学を宗教のように扱うのは、科学的証拠を単なる信仰のひとつとして片づけたいからだ」(原文のルビをカッコ書きに改めた)
コメント:「正統派」といったタームは日本ではさほどポピュラーではないが、「…