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「朝鮮人虐殺から『在特会』への記憶の連鎖」

『週刊金曜日』第957号(2013年8月30日号)に掲載された拙稿「朝鮮人虐殺から『在特会』への記憶の連鎖」の元原稿を、同誌の許可を得て公開いたします。雑誌掲載分とは一部の表現が異なっていること、また2013年8月時点での認識に基づく記事であることをご承知おきください。


関東大震災朝鮮人虐殺から排外デモまで—変わらない統治者のまなざし


 在日コリアンへのヘイトスピーチを街頭で叫んできたネット右翼、自称「行動する保守」諸団体への社会的関心が今年に入ってから高まっている。こうした変化それ自体は歓迎すべきことであるが、その一方で懸念すべきことも少なくない。

日本政府の「排外デモ」観

 本稿で問題にしたいのは、安倍内閣や警察当局が排外デモにむけるまなざしである。五月七日に参議院予算委員会でヘイトスピーチへの認識を問われた安倍首相は、日本人は「和を重んじる」国民であったはずだ、などと答弁した。また七月一日に韓国外相と会談した岸田文雄外相は、新大久保などでのヘイトスピーチへの対処を求められて「法秩序を守っていく」と返答したと報じられている。ヘイトスピーチは「和」や「秩序」を乱すふるまいだというわけである。警察の警備方針も「行動する保守」側と反対する市民側とを分断して街頭の「秩序」を維持することを最優先したものである。こうした警備方針からすれば、排外デモもそれに反対する行動も等しく「秩序」を脅かす要因として扱われる。警察のまなざしは、六月一六日の新大久保でのデモに際して、喧嘩両成敗といわんばかりに「行動する保守」側、カウンター側の双方から四名ずつ逮捕したことに象徴的にあらわれている。

虐殺をうんだ「不逞鮮人」視

 ここで私たちが想起すべきなのは、関東大震災時の朝鮮人虐殺の背景として、「不逞鮮人」を秩序の撹乱者とする当時の統治者たちのまなざしがあったことである。震災発生をうけた戒厳令宣告時の内務大臣水野錬太郎と警視総監赤池濃はいずれも三・一独立運動直後の朝鮮半島で朝鮮総督府の官僚として治安行政に携わってきた人物であった。震災後に発生し虐殺を生んだデマは、治安当局の「不逞鮮人」イメージを具現化したものに他ならなかったのである。

 現代の治安行政もまた在日外国人に同じようなまなざしを向けていることは、二〇一〇年一〇月にインターネットに流出した警視庁公安部の捜査資料(在日イスラム教徒を対象としたもの)などからもうかがえる。インターネット上で朝鮮学校を「スパイ養成学校」呼ばわりする発言や「在日の犯罪」についてのデマが多数見られることもまた、「不逞鮮人」視が決して過去のものでないことを示していると言えるだろう。


歴史修正主義と排外主義

 「不逞鮮人」とは植民地支配を甘受しない朝鮮人に貼られたレッテルであるが、植民地支配を正当化する勢力は朝鮮人虐殺についても歪曲や正当化を試みている。『関東大震災—「朝鮮人虐殺」の真実』(工藤美代子、産経新聞出版、二〇〇九)(注)が“正当防衛”説を唱えているのがその一例だ。同書を批判した山田昭次・立教大学名誉教授は工藤が「司法省をはじめとする当時の官憲の態度」を共有していることを指摘し、さらに工藤のような「思想動向」は「行動する保守」諸団体の排外主義的活動や高校無償化からの朝鮮学校の排除として現れている、としている(『世界』、二〇一〇年一〇月号、岩波書店)。

 実際、「行動する保守」の韓国・朝鮮人観の根底にあるのは、“彼らは朝鮮半島を近代化した植民地支配を逆恨みしている”という意識である。ここには歴史修正主義がレイシズムや排外主義を正当化するという構造がある。だが周知の通り、植民地支配正当化論はこの国の統治者たちがしばしば漏らす本音でもある。こうした政府のもとで警察当局が「秩序」維持の姿勢を強調していることに対して、私たちは警戒を緩めるべきではないし、「秩序」ではなく「人権」の観点から排外デモに対峙してゆく必要があるだろう。


(注)その後、加藤康雄名義で書名も『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった! 』と改めてワックから刊行されている。

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 誤解されがちなのですが、歴史修正主義的な主張は「結論が通説と違うから」とか「日本軍を美化しているから」といった理由で「歴史修正主義的だ」と判断されるわけではありません。神ならぬ私たちは歴史記述それ自体だけをとりあげて「これは史実に合致している」とか「史実に反している」と判断することはできないからです。肝心なのはむしろある歴史記述(と主張されているもの)がどのような方法で導き出されているか、です。史料の取捨選択やその解釈、史料からの推論などがまったく妥当性を欠いている場合に「偽史」とか「歴史修正主義」という判断が下されるわけです。「おかしな結論」が出てくるのは「おかしな方法」が用いられているからなのです。一定の合理性を備えた方法によって導き出された歴史記述同士の対立は学術的な議論の対象になりますが、歴史修正主義は「疑似科学」の一種であって「歴史学の内部における、通説への挑戦」ではありません。
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新刊のお知らせ

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 私が担当した第1章は、月刊右派論壇誌がこの20年間でどのように「歴史戦(歴史戦争)」言説をつくりあげてきたかを概観する内容となっております。テーマとしては昨年早川タダノリさんと共に刊行した『憎悪の広告 右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(合同出版)の第3、9、12章などと共通しており、実際に『憎悪の広告』執筆に用いた資料が今回も大いに役に立ちました。過去20年間の右派論壇誌の新聞広告を約140点収録した『憎悪の広告』は『海を渡る「慰安婦」問題』が描き出す右派の「歴史戦」についての具体的なイメージをつかむうえでの一助となると自負しております。新刊ともども、この機会にお手にとっていただければ幸いです。



歴史修正主義の手法に見られるパターン

 心理学者のセス・C・カリッチマンは『エイズを弄ぶ人々ー疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(化学同人、2011年。原題 Denying AIDS: Conspiracy Theories, Pseudoscience, and Human Tradegy, 2009)においてエイズ否認主義の典型的な手法をまとめています。実はこの手法は疑似科学一般にも、さらには歴史修正主義においても見られるものです。カリッチマンは科学ジャーナリストのマイケル・シャーマーの分析に着想を得ているのですが、シャーマーはホロコースト否定論が疑似科学と同じパターンの論法を使用していることを指摘しています(『なぜ人はニセ科学を信じるのか II』、早川文庫)。以下にカリッチマンの指摘の主なものをメモしてコメントを付します。太字になっているのは原文の小見出し。
第4章  否認主義者のジャーナリズムと陰謀説
エイズをめぐる大規模な議論?(164ページ〜)
「否認主義のジャーナリストは、HIVがエイズの原因かどうかについて、公の場で公正な議論を行うことをしつこく要求する」「否認主義者から見れば、エイズ学者は真実の発覚を恐れて、HIVがエイズの原因かどうかについての議論を避けている、ということになるようだ」「一方、エイズ学者から見れば、HIVがエイズの原因かどうかという問題はすでに解決済みであり、改めて議論すれば、それを未解決と見なすことになるのだ」
コメント:河村たかし・名古屋市長が南京大虐殺否定発言の問題化後に言い訳として用いたのもこの論法。ネットにも「検証するくらいいいじゃないか」みたいな発言はゴロゴロしているが、しかしそんなことを言う人々が過去の「議論」の蓄積をきちんと参照したためしはない。
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コメント:「正統派」といったタームは日本ではさほどポピュラーではないが、「…