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「ネット右翼」の道徳概念システム(1)

『現代の理論』(明石書店)2008年新春号に掲載された拙稿の元原稿を、許可を得て公開します。一部の表現に違いはありますが論旨に変わりはありません。なお、執筆した2007年当時の情勢を念頭に置いて書かれたものであることをご承知おきください。

 いわゆる「ネット右翼」について考えるうえで示唆的な二つの出来事に言及することから始めたい。
 2007年5月、読売テレビが制作する番組「たかじんのそこまで言って委員会」において、出演者の一人橋下徹弁護士が光市母子殺害事件の弁護団に対する懲戒請求を行なうよう、視聴者にアピールする発言を行なった。その後日弁連によれば4000件を超える懲戒請求が行なわれ、弁護団のうち4人が橋本弁護士に対して損害倍総請求訴訟を起こすという事態になっている。懲戒請求を呼びかける橋下弁護士の発言はネットのあちこちで引用され、番組を録画した動画が「Youtube」や「ニコニコ動画」といったサービスを通じてアップロードされた。掲示板やブログなどで橋下弁護士を支持する発言が多数なされ、インターネット上では「懲戒請求テンプレート」なるものが公開されてもいる。この橋下発言を支持する意見の要点の一つは、差し戻し審における弁護団(被告)の主張が「荒唐無稽」であり、「遺族感情」への配慮を欠く、というものであった。
 もう一つは2007年11月2日、東京地裁が下した判決である。これは亜細亜大学の東中野修道教授が著書『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社、1998年)において、南京大虐殺の生存者であり証言者として知られている中国人女性、夏淑琴さんを被害者とは別人、すなわち偽の被害者、証言者であると記述し名誉を毀損したとして、夏さんが著者と出版社に対し損害賠償を請求した訴訟である。判決は、夏さんを「別人」と主張するに至る東中野の論拠が「学問研究の成果に値しない」と評価、訴訟費用などをあわせ400万円の支払いを命じた。ところで、この東中野修道を出演させ自説を述べさせ、南京事件否定論の宣伝に一役買ったテレビ番組がある。ほかならぬ「たかじんのそこまで言って委員会」である。この出演シーンもネットで繰り返し言及され、動画がアップロードされ、ネット上の南京事件否定派に力を与えてきた。
 刑事犯罪とその処罰をめぐる問題、そして歴史認識問題(特に旧日本軍の戦争犯罪をめぐる問題)の二つが「ネット右翼」の好む話題の代表であるということもあるが、この二つの出来事を最初にとりあげたのは、ここに右派のメンタリティに関する興味深い--こうした言動を見慣れていれば自明のように思えるが、しかし掘り下げて考えてみれば注目すべき--ある特徴をみてとることができるからである。一方では刑事被告人の弁護団が「遺族感情」に配慮することを要求しつつ、他方では被害者・遺族(夏さんは家族のほとんどを殺害された被害者遺族でもある)の感情を傷つける主張を公然と行なう者を支持しうるのはなぜか? もちろん、この疑問の一部は「排外主義的ナショナリズム」や「中国人への差別意識」「中華人民共和国への敵意」などによって説明可能である。しかし沖縄戦における「集団自決」についての教科書検定問題や、原爆投下をめぐる久間元防衛大臣の発言(およびこれらについてネット上で行なわれた膨大な発言)を、あるいは少しさかのぼってイラク人質事件に際して三人の人質(およびその家族)に向けられた非難を考えれば、右派は自国の戦争被害者に対しても懐疑的・冷笑的な態度をとることが少なくないことがわかる。あるいは右派の態度を「欺瞞」「ダブルスタンダード」とみなし、倫理的に断罪すれば足りるとする考え方もあろう。これについてもそうした一面があることは否定しないが、本稿ではこうした現象を「ダブルスタンダード」ではなく、右派にとっては首尾一貫した立場であるとする見方を追求してゆくことにする。現在の日本社会は歴史的な比較においても国際比較においても、刑事犯罪に関してきわめて安全な社会であるにもかかわらず、2004年に行なわれた「基本的法制度に関する世論調査」では8割が死刑存置を支持している。こういった事態に正面から取り組むためには、保守派、右派のロジックを矮小化することなく正確に理解することが必要だと思われるからである。


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歴史修正主義は何によってそう認定されるか

 誤解されがちなのですが、歴史修正主義的な主張は「結論が通説と違うから」とか「日本軍を美化しているから」といった理由で「歴史修正主義的だ」と判断されるわけではありません。神ならぬ私たちは歴史記述それ自体だけをとりあげて「これは史実に合致している」とか「史実に反している」と判断することはできないからです。肝心なのはむしろある歴史記述(と主張されているもの)がどのような方法で導き出されているか、です。史料の取捨選択やその解釈、史料からの推論などがまったく妥当性を欠いている場合に「偽史」とか「歴史修正主義」という判断が下されるわけです。「おかしな結論」が出てくるのは「おかしな方法」が用いられているからなのです。一定の合理性を備えた方法によって導き出された歴史記述同士の対立は学術的な議論の対象になりますが、歴史修正主義は「疑似科学」の一種であって「歴史学の内部における、通説への挑戦」ではありません。
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新刊のお知らせ

 2016年6月23日に岩波書店より、山口智美さん、テッサ・モーリス−スズキさん、小山エミさんとの共著『海を渡る「慰安婦」問題――右派の「歴史戦」を問う――が刊行される予定です。一冊まるまる、右派による「歴史戦」の企てを批判的にとりあげた書籍はおそらくこれがはじめてであろうと思います。


 私が担当した第1章は、月刊右派論壇誌がこの20年間でどのように「歴史戦(歴史戦争)」言説をつくりあげてきたかを概観する内容となっております。テーマとしては昨年早川タダノリさんと共に刊行した『憎悪の広告 右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(合同出版)の第3、9、12章などと共通しており、実際に『憎悪の広告』執筆に用いた資料が今回も大いに役に立ちました。過去20年間の右派論壇誌の新聞広告を約140点収録した『憎悪の広告』は『海を渡る「慰安婦」問題』が描き出す右派の「歴史戦」についての具体的なイメージをつかむうえでの一助となると自負しております。新刊ともども、この機会にお手にとっていただければ幸いです。



歴史修正主義の手法に見られるパターン

 心理学者のセス・C・カリッチマンは『エイズを弄ぶ人々ー疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(化学同人、2011年。原題 Denying AIDS: Conspiracy Theories, Pseudoscience, and Human Tradegy, 2009)においてエイズ否認主義の典型的な手法をまとめています。実はこの手法は疑似科学一般にも、さらには歴史修正主義においても見られるものです。カリッチマンは科学ジャーナリストのマイケル・シャーマーの分析に着想を得ているのですが、シャーマーはホロコースト否定論が疑似科学と同じパターンの論法を使用していることを指摘しています(『なぜ人はニセ科学を信じるのか II』、早川文庫)。以下にカリッチマンの指摘の主なものをメモしてコメントを付します。太字になっているのは原文の小見出し。
第4章  否認主義者のジャーナリズムと陰謀説
エイズをめぐる大規模な議論?(164ページ〜)
「否認主義のジャーナリストは、HIVがエイズの原因かどうかについて、公の場で公正な議論を行うことをしつこく要求する」「否認主義者から見れば、エイズ学者は真実の発覚を恐れて、HIVがエイズの原因かどうかについての議論を避けている、ということになるようだ」「一方、エイズ学者から見れば、HIVがエイズの原因かどうかという問題はすでに解決済みであり、改めて議論すれば、それを未解決と見なすことになるのだ」
コメント:河村たかし・名古屋市長が南京大虐殺否定発言の問題化後に言い訳として用いたのもこの論法。ネットにも「検証するくらいいいじゃないか」みたいな発言はゴロゴロしているが、しかしそんなことを言う人々が過去の「議論」の蓄積をきちんと参照したためしはない。
科学を宗教として描く(173ページ〜)
「否認主義には宗教的含みが無数に見られ、特に主流のエイズ学について説明する際には、しばしば宗教がかった言い方をする。エイズ学は『正統派(オーソドクシー)で、「HIV=エイズの教義(ドグマ)」を奨励し、HIVがエイズの原因かどうかに疑問を持つ科学者を「破門する」、といった具合だ」「科学を宗教のように扱うのは、科学的証拠を単なる信仰のひとつとして片づけたいからだ」(原文のルビをカッコ書きに改めた)
コメント:「正統派」といったタームは日本ではさほどポピュラーではないが、「…